僕の顔はもう見飽きているだろう、と思ったので、仙台の劇団、「空間実験こがねむし」のパフォーマー/ダンサー伊藤文恵さんに同行してもらい、一緒にご訪問。
ダダカンさんご訪問前に、ダダカンさんのおうちから一番近い地下鉄の駅で降りて、開いていた中華料理屋さんで2人で遅い昼食。
市内では、(まあ、仕方ないことだけど)、食料品や外食の値段が上がっているところもあるけれど、この中華料理屋さんは非常に良心的。
壁に貼ってあるメニューの値段より安く定食とラーメンを提供。にも関わらず、僕の頼んだカニチャーハン(600円)も文恵さんの頼んだ肉入り中華飯(700円)も具だくさんでボリューム有り。嬉しかったし、美味しい!
お腹が満たされて元気になったところで、徒歩でダダカンさんのおうちを目指す。
途中の自動販売機で温かいお茶が売り切れていなかったので、3人分買って行く。
おやつ時より少し早くにダダカンさんのおうちに着き、ノックして「ダダカンさーん」と呼ぶと、「はーい。誰ー?・・・あー、鈴木さん」と元気そうなダダカンさんご登場。
突然のご訪問だったので、片づけ等お忙しそうだったら、用件だけお伝えしてすぐおいとましようと思っていたのだけど、「いやー、ヒマしてました」とのことで、2時間弱滞在。
とりあえず、ずっと安否が確認できていなかった、僕とダダカンさんの共通の友人、増子静さんが無事だったことをお伝えすると、とても嬉しそうでした。
文恵さんがお花屋さんでお土産に買ってきたお花も、「いやー、こういう時だからこそ、花は本当にいいですねえ。心が・・・」と喜んでくれました。
もともとダダカンさん、お花が大好きですものね。
ただ、この日うかがったのは、もうひとつ残念なご報告があって。
嬉しい報告の後に切り出しにくかったが、地震前日に、上條順次郎さんがガンで亡くなったことをダダカンさんに伝える。
ダダカンさんと上条さんは半世紀弱に渡る付き合い。
60年代半ばには、仙台アンデパンダン展にて、当時東北大生だった上条さんがダダカンさんと路上パフォーマンスを行っているし、その後、上条さんがゼロ次元に加入し、中期以降の主要メンバーのひとりとなって以降も、もちろん交流は続いていました。
2008年のダダカン展でも、ダダカン・シンポジウムの壇上に上がり、パンツ一丁になってフザけていたし、訪れた日も、ダダカンさんのおうちの応接間には、ダダカンさんと上条さん、永寿日郎さんが3人で並んだ写真が飾ってありました。
この話についてはさすがにダダカンさんも涙を拭っていて、自分も辛かったです。
その後、僕が持参した羊羹を食べ、結局自動販売機で買ったお茶ではなく、ダダカンさんが淹れてくれたお茶を飲みながら雑談。
昨日、ぷらぷらと街を歩いてると、白松が最中が開いており、ミニ羊羹を打っていたので、お、これは、切る必要ないし、手軽なおやつでいいなあ、と買っておいたのですが、食が細いダダカンさんも美味しい、と2つ食べてくれたので、この選択は正解でした。
その後、テレビっ子のダダカンさんの、地震災害の報道の合間のCMについての愚痴(笑)を聞いたり、東京にいるお孫さんが買占めのせいで食料手に入らなくて栄養失調にならないだろうか、という心配を聞いたりするも、まあ、僕とダダカンさんというアートオタク2人でありますから、いつも通り話題はその方面へ。
ダダカンさんを兄と慕う中島由夫さんからいち早く、ダダカンさんを心配する手紙が来ていて、部屋に飾ってあったのでビックリ(もう郵便って届くんだ)!
昨年末に僕が東京現代美術館で観てきた、常設展「クロニクル 1947-1963|アンデパンダンの時代」の報告もまだだったので、お話して、ネオ・ダダと一緒に行動していた頃のエピソード等うかがう。
初耳だったのは、工藤哲巳さんの名前が出た時のエピソード。工藤さんがフランスに渡る際、ダダカンさんは電報を出したそう。
「それを快く思ってくれたのか、あまり知られていないのだけど、『I氏の肖像』という私をモデルにした絵を描いてくれたんですよ。彼の故郷は岡山なんですが、そこの美術館にあるはずですよ」とのこと。うーむ、これはぜひ観てみたい。
また、小池浩一さんが先月のDOMMUNEで配信された『超前衛鼎談』を録音して持ってきてくれたため、自分の名前が出てくるところは聞いたとのこと。
「岡本太郎の話だったのかな?でも、秋山さんが私の名前出しちゃって、ポンポン話して、慌てて司会者が元の話に戻そうとしてて、面白かったです。ギュウちゃんは渋い声でしたねえ」だ、そうです。
昨今またブームが来ている岡本太郎に関しては、「私の兄が絵をやってたんですが、同じ名前でねえ。終戦後、(兄が)本を買ってきたりして。私も影響を受けましたねえ」と語っておられました。
美術以外では、刑事さんとのエピソードも面白かったです。
ダダカンさん、過去には過激なパフォーマンスをしていたため、仙台に夜行バスで戻ってくると降車場にすでに刑事が待っていたり、部屋の壁に公安の盗聴器が埋め込まれていたり、と、かなりのマークを受けていたそう。
7年に渡るお母さんの介護を終えてダダカンさんが仙台の自宅に戻ってくると、ひとりの刑事がうちを訪問してきて、ダダカンさんに名刺を渡して自己紹介。やけに「人格者な刑事」だったそうです。
以降、そのSさんという刑事さんはケーキや奥さんの作ったサンドイッチを手土産に、週一、二度はダダカンさんのおうちを訪問して、ダダカンさんの言葉の端から、少しでも過激派の情報が聞き出せないか、頑張っているうちに(実際、ダダカンさんのもとには、そういった情報もたまに届いていたそう)、「友だちのようになっちゃってねえ」とのこと。
ダダカンさんが仙台で全裸パフォーマンスをして警察に連行された際、名前を名乗ると、警官が「糸井貫二?ああ、それは変わった画家だ」と言って、すぐに釈放してもらった、というエピソードがありますが、まあ、こんなに有名(?)だったなら、そういうこともあるのかもなあ、と、上のエピソードを聞いて腑に落ちました。
地震後の生活については、水は一度も断水していないし、灯油もガスも使う習慣がないし、電気も被災後3日で復旧したので、何の問題もないとのことでした。
食料も当面の分は蓄えてあるし、カセットコンロのボンベもとりあえずの分はあるそうです。
被災当日は、調理ができないので、僕が持っていったビスケットを晩ごはんにしたそう。
持っていった後に、「うっ、そういえば、あんな固いもの、ダダカンさん大丈夫だったろうか・・・」と心配していたのですが、「今のビスケットは昔と違って、チョコレートが入ったりしていて、大変美味しいですなー」とおっしゃっていたので、ほっ。
竹熊健太郎さんや飴屋法水さんがご心配されているようですよ、と伝えておきました。また、椹木野衣さんがご訪問される予定がこの地震でなくなってしまったのを残念がっておられました。
他には、つい先日取材で言水ヘリオさんと写真家の今井紀彰さんが取材に訪れたことを話してくれました。「3時間くらい、ずっと写真を撮っていたんですが、非常に気持ちいい取材だったなあ」と嬉しそうでした。
ダダカンさん、今は体調も良く、災害報道ばかりのテレビにも飽きているご様子なので、少し話し相手がほしいのかも。先月は風邪をひいたのと腰を痛めたのとで、ご友人のご訪問を少し断ったりもしていたようですが。
僕らがうかがった日は、地震後、初めて、いつも買い物に行くスーパーに散歩がてら「視察」しに行ったものの、長蛇の列が店前に並んでいたので、帰ってきたそうです。
仙台市内で物資が手に入りにくい、この状況が続くなら、親族の方がダダカンさんに食べ物を持って行くでしょうが、ダダカンさんも気晴らしにご自分で買い物に行きたいでしょうから、「早くいつも通りになれば良いですねえ」と話して帰ってきました。
とりあえず、ダダカンさんの住んでいる辺りは、大きな被害もなかったので、皆さん、ご心配なく。
スズキ「僕の言葉だけじゃ、皆信用しないから、写真撮っておきましょう」
ダダカンさん「そうしましょう。ここらへんに私が(いつも通り)座っておけばいいでしょう」
という会話の後撮影した、ダダカンさんご無事の(ヤラセ)写真は以下より(笑)。
デジカメ持っていったのに、SDカードを入れ忘れてたので、全部携帯で撮影した写真です。
中島由夫さんからの手紙を指差すダダカンさん。
壁に貼った贈り物もそのまま。茶碗だか何だかがひとつ欠けたくらいで、他は被害なかったそうです。
応接の片づけも終わっていました。
元気。元気。
※余談ですが、そういえば、災害報道のために大きく報道はされませんでしたが、美術批評家の中原佑介さんの訃報が地震後、新聞に小さく載っていて、これも非常に悲しくて残念。
80年代にはINAXギャラリーのキュレーションをしていて、宮城輝夫先生もピックアップされたりしていました。
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